時間は遅れて、空間は縮む

私たちの日常の速度では、時間はみな平等に過去から今、未来の方向へ、一次元的に流れ続けているように感じる。空間も変わらずそこにあって、上下左右に三次元に手を伸ばすことができる。今回は、速度が光の速さに近づいた時の、空間や時間の面白い性質を紹介する。

そもそも速度とは、速度を持っているものからみて静止しているものとの差で測る。自分たちが走るとき、地面は止まって感じるので、地面を0として速度が測られる。

次に少し行儀が悪いが、電車の中で走ることを考えよう。電車の中の人は、電車が等速で走っているなら、たとえば30km/hとするとその速度のまま進んでいるなら、電車の中の人からすると電車が速度0に感じるので、5km/hで走るなら、自分は5km/hで走っていると感じる。そとにいる人から見ると話が変わる。この人にとっては地面が静止しており、地面に対して30km/hで電車が走るので、中の人の速度は5km/hに電車の速度が足された35km/hに見える。速度の足し算ができる。

めちゃんこ速いで有名なのは光だ。1秒間で地球を7周半することができる。光は波の性質をもっている。波と言えば、海の波を思い浮かべる。波の速度は、それを伝える媒質、つまりは海の水を速度0の基準にとっている。音であれば、空気が基準になる。私達は太陽の光や星の光が見えるので、これらの光は宇宙空間を飛んできているが、なにが振動していて、その速度はなにを基準にしているのか。

振動しているのは電場と磁場なのだけれど、それは媒質とは言えない。光に媒質はいらないというのが物理学が行き着いた答えで、さらに媒質がないとなると速度の基準がわからない。

ここでアインシュタイン発想の転換「誰から見ても光の速度は一緒」というものが出てくる。電車の中のような動いている人からみても、地面にいる人からみても光の速度は同じになる。

そうなるためには、どうなるべきかとなると、空間が縮み、時間が遅れるなんてことが必要になってくる。

簡単になぜそうなるかを考える。

光が普通の物質であれば、電車の中から見て光速なら、外の人からは光速+電車の速さになるはずであるが、光の速度は誰から見ても同じにならなければならないので、この+電車分が帳消しにされる必要がある。

速さは距離÷時間なので、速さが小さくみえるには、距離を小さく縮めるか、時間の進みが大きく、つまり遅れればいいのがわかるだろう。

誰にとって空間が縮み、時間が遅れているのかは注意しなければならない。光の速さが速くみえるかもしれないと思っていたのは、電車の外の人の話なので、電車の外の人からみて、電車の中の人の空間が縮み、時間が遅れる。

電車の中の人は、自分の時計が遅れているとか、空間が縮んでいるとかはわからない。

電車の中の人は、電車が静止していて、外の人が電車の速度とは、反対の方向に速度を持っているように見える。なので、電車から見ている人から見て、電車の外にいる人の時間が遅れ、空間が縮んでいるように見える。つまり、時間と空間も相対的なものになっている。