残酷なはないちもんめ

私は気づいてしまった。子供とは純粋ゆえに残酷で、自身ではそれに気づけるほどの理性が完全に備わっていない生き物であると。

いつものように大学にてくてくと登校する途中に、小学校がある。懐かしい図工室の木屑の匂いが外にまで飛んできて、その道はとても好きだ。しかし、ある日学校から「はないちもんめ」と元気な声が聞こえてきた。幾分古風な遊びをやるものだと面白がっていたが、よくよく考えてみるにこのゲームは残酷で、禁じられた遊びと言って良いことに気づいた。

はないちもんめとは、その掛け声と同時に二つの列が前後し、あの子が欲しいあの子じゃわからんなどと宣って、そのあの子が代表して前に出てジャンケンし、負けた側は勝ったグループに移動する。そして人の居なくなった側のグループの負けというゲームである。

さて、想像してみよう。はじめに選ばれる確率の高いものは誰だろうか。もちろんその選出はそれぞれのグループで話し合って決められる。クラス全体で行う場合、発言力の高いものの親しい人物もしくは、クラス内で人気の高い、つまりは「あの子がほしい」という欲求のまま選ぶかのパターンが考えられる。選出されるされないの時点でまず、傷を負うものが現れてしまうのだ。このゲームによって、学校の地位を晒し上げられることと同義といえる。最後に残ったときを想像してみてほしい。次回から休憩時間にアサガオの鉢と会話することになるだろう。

しかし、幸せなことに小学生などの子供では、地位に関して無関心で、勝負に勝つことだけを目的にしていることの方が多かったように思う。中学生にはないちもんめはできないだろう。

人を選び取るという部分にはないちもんめの怖さがある。しかも、負けた側は、勝者側のグループに吸収され、つまり勝者グループは、全体の人気度を膨らませながら、足を蹴り上げ敗者側に歌いかけてくるのだ。おそらく人数が膨らんだ側についたものは、もはや元いたグループのことは綺麗さっぱり忘れ、長い物に巻かれることも覚えていくだろう。

実際にはおそらく、初めからみな平等に親しい人で二つのグループが構成され、選出は人気度では決まらず、ある種ランダムになると考えられる、いやそう願いたいものだ。

 

小学生諸君に注意したいのは、あさがおの鉢は早めに持ち帰ろう。学期終わりの下校でハウルの動く城となって帰ることになる。その時最も煙突感を出すのが、まさにそれだからだ。