好きな人といい人の違いは面白い

いい人ではある。このもはやテンプレートとも言える文句は、絶望に突き落とすには充分すぎるものだ。

いい人と好きな人には大きなギャップがあり、その違いはなんであるかというのは難しい問題である。しかしながら、こんな問題などものともせず、夫婦やカップルがいることもまた事実であり、矛盾しているようにも見える。

もちろん、相互が好き好き同士なパターンは少なく、どちらか一方、または両方がある意味妥協しているほうが起こりやすいなら矛盾しない。

いい人とは、言葉を選ばなければ、つまらない、面白くない、平凡である、一緒にいても変化が見出せないなど、その当たり障りのなさから予想できる。

つまり、いい人は自分が優先権を主張するまでもなく、いつも通り話すこともできるし、遊ぶこともできる。無くなることのない、無くなる心配のないために、手にしたいと思えないことが原因と言える。

その逆として好きな人を好きな人たらしめるのは、無くなる心配からくる優先権が欲しいために生まれるはずである。

モテるものはなぜモテるのかというと、モテるからである。他の人が手に入れたいと渇望するものは、欲しくなり、口約束である告白で、優先権のようなものを手にした気分になれる。

ではモテるためにモテなければならないとなると、モテ始めというものの決め方をどうすればよいだろうか。

モテるというものを好意以外の感情に拡張して、友情として初めのモテを作り上げると考えてもいい。

さて、友達100人できるかなが今の条件となった。誰かれ構わず数を稼ぐとするならば、自分を押し殺して振る舞えば良い。そうすることで篩にかけられることなく"友達"ができる。

これはいい人に移り変わってしまっている。なんとなれば、当たり障りなく平凡であると言えるからだ。好きな人になるための条件を考えていると、いい人が生まれてしまった。

これは、偏見を入れすぎたせいとも言えるが、どこに入れている、入れすぎているだろうか。

友達を増やすことと自分を出しすぎないことは繋がるか、モテるものがモテるというのが無理矢理なのか、無駄に考えるのは面白い。

いい人と言うのは、いい人、いい人でないに関わらず、断る側が、自分は優しいと言い聞かせるためであると言う考えもあるが、ひねくれすぎている気もする。

他の意見があれば、是非教えていただきたい。