イオンモールと中学生 遊びの変化

第四公園には大きな滑り台がある。波打っていてとても大きく、そこが公園になった時から私は遊んでいた。滑り台もさることながら、そこへ向かう階段が2段回になっており、上側の短い階段がとても好きであった。

こどもは、遊びを生み出す天才であるとどこかで聞いたことがあるように、いつのまにか流れる日常の中にあそびを見出していく。その公園にはブランコもあり、サーカスだなんだと弟とよく遊んでいた。想像の中で現実と違うものを見ているとも言えるこの現象は、大人になっていくにつれ指数関数的に減少していったように思う。大人がサーカスだとブランコをしていたら恥ずかしいという面もあるが羞恥心だけだろうか?

さて、大人になってからなにが「遊び」の代表格になったのか。それは食事などお金を消費するなにがしであろう。

もちろん、バイクや車が趣味である人などはツーリングなどが挙げられるがお金を消費しなければ手に入らないし、バイクは前に進まない。

食事は趣味となる人もいるが、そもそも三大欲求の一つである食欲に強く結びついており、より一般的な遊びといえよう。

食事することが、子供の遊びとならないのは多くの場合それが日常として組み込まれ、遊びとなるよりも一つ上の次元の言わば枠組みの中に形成されている。そしてお金というものへの自由度は大人より低い。

そしてこの転移経過が中学生である。外で遊ぶことを子供っぽいと蔑み、嫌がり どこへいくだろうか。イオンモールなどの大型複合施設に落ち着きやすい。

お金を多く消費できるほど持っていないが、イオンモールに遊びに行ったという口実で少し大人の真似事をするわけである。少し余裕があるものは街まで繰り出し大人と同じような遊びを手に入れていただろう。

 

なにを言いたいのかわからなくなってきたが、私は無印良品に行きたい。