オシャレとはなにか
「自分の着たい服を着ればいい」と雲泥のセンスの差があるとき、これを雲から泥のものがこの教えを賜ったとき私の経験上事故が起こることが多かったので少し自分で考えてみよう
私にとって雲側のWさんに話を伺ったところ、ネットで見たもので似たものを探したり、友達やSNSなどで情報を仕入れて、その後似合うか似合わないかを考えたり、時には感覚で好きだから着てまえと思い切るそうな
ここでその似合う似合わない、感覚とあるが
これを「ファッションセンス」としよう
過去の膨大な情報、経験によって選択を決定する感覚がファッションの後天的センスだとみなす
(生まれ持っているセンスを先天的センス、経験により培ったセンスを後天的センスとする。またその両方を総括してセンスとする)
「選択」の問題
ファッションから少し範囲を大きくして「ものを選ぶこと」について考えてみる
例えば、りんごとみかんどちらを食べようと考えているとき
この例は経験に依存するのがよくわかると思う
私はみかんが好きだという事実も経験からくるものだ
どちらの味も知らなかったり、食べられることさえ知らないかもしれない。
最初の選択では、先天的センスしか使えず、後天的センスがない場合 他者のセンスを借りるしかないだろう
「私はおばあちゃんが美味しそうにみかんを食べていた」という他人の経験を見る(ファッションでは友達やSNSなどから他人の経験を見る)ことで私はみかんを選択する確率が上がるのだ
より利益の大きな選択肢に進むとき、センスがいいと解釈できるだろう
先天的センスがあるに越したことはないが、後天的センスが多くを解決してくれるだろうと予想する
つまり他者を見ることが最初のステップだ
魔法のような解決策はないと普通の結果になってしまった
ニワトコの杖でも拾いたいものだ